【コラム】因数分解にみる低満足教育

 九九

小学校2年生で学習する九九。
うちの長男も去年やってました。
 
私も、どうしても7の段の逆が暗唱できなくて、夏休みに小学校へ登校してクリアの証拠であるハンコをもらいにいっていました。
今思うと、あの当時の担任の先生は夏休みまで出てきて、九九が暗唱できない子に対応してくれているなんてありがたい限りです。
小中学校の先生たちは夏休みにゆっくり休んでいるなんて妄想は今ではする人さえいなくなり、化石と化していると思いますが……。
改めて、小中学校の先生たちは大変なんですよ。
今、私はそういう立場になく、一人の親として発言しています。
うちの子たちは迷惑かけてますからね。
小2の私の過去をフラッシュバックさせながら、あの頃の担任や今の愚息の担任に頭が下がりっぱなしです。
 
あ、話がそれました。
九九です。
九九。
長男もやはり7の段で苦戦してました。
たかだか九九とはいえ、血はあらそえませんな。
 
改めて九九の暗唱をさせてみて、小学校の先生たちはすごいなぁと感じました。
何の工夫もなくただ覚えるだけを強要し、そこで効果をあげることのなんと難しいことか。
私たちには想像できない工夫があるのだろうと思います。
親がやってみればいいのです。
「九九なんか覚えるだけ」というならやってみればいい。
親が覚えさせて、できるようになったなら、自分の子どもは九九をマスターし、子どもとふれあえる時間も持てたというメリットが得られます。
万が一、覚えさせることに失敗したとしても、小学校の先生たちに感謝の念や畏敬の念が起ころうというものです。
これはこれで、小学校の先生たちと良好な関係を築けるきっかけを得ることができるでしょう。
 
人のせいにしてばかりだから、その姿をみなれてしまった子どもはそういう人へと育っていくのですよ。
まさに、『親の思ったとおりに子どもはならない。親のやったとおりになる』ってやつです。
 

 中学3年生が学習するの因数分解

あら、またまた話がそれました。
小2で学習した九九は、その後の数学を学習する上での、その子の根幹のひとつになることは間違いありません。
 
で、中学3年生では、2次方程式を解くために因数分解を学習します。
例えば
問1 x2-2x-8
をかけて-8、足して-2になる整数の組み合わせを探して
 (x-4)(x+2)
というかけ算の形の式に変形します。
これが因数分解の学習の一部です。
思い出してもらえましたか?
では、同じような問題でもう一問。
問2 x2-33x+200
因数分解してみましょう。
これ、実は2次方程式の文章題の中でたてられた式の一部です。
実際に中学生がやってみて、いやぁ、時間かかるわ、全く手が止まってるわ、前の問題と比べて苦戦ぐあいが顕著でした。
 
そこで、ふと思ったことがあったので調べてみました。
ある教科書でざーと見た感じ、因数分解で上の公式を使用する因数分解の問題が約60問。
そのうち、九九に存在するかけ算を使用しないで因数分解をする問2のような問題が0問。
どこかにあるのかもしれない。
問題集でも同じことを確認してみました。
……ない。
つまりです。
x2+(a+b)x+ab=(x+a)(x+b)
という公式を利用した練習問題において、abが九九の範囲を越えている問題はほぼないのです。
どういうことかというと、九九の範囲以外のabになる場合については練習をしていないということです。
だから先に出題した問2に苦戦するのでしょう。
 
そりゃぁね。
九九の中からその組み合わせを見つけることは確かに楽でしょうよ。
だから、みんなできた気になるし、そのお陰で因数分解が嫌いになる人が減るかもしれないよね。
……。
いやいや、そんな優しさ、中学生に必要かなぁ。
個人的にはメリットがそれほどなくて、デメリットが多い気がするけど。
「因数分解が嫌いになって、さらには数学が嫌いになったらどうするんだ」と言われるかもしれないけど、数学が嫌いな子どもって、因数分解のころにはもう、嫌いになっていると思うんだけどなぁ。
簡単な内容が数学嫌いをなくすという妄想はもうやめた方がいいと思うんですよ。
あくまでも個人的に……。
 

 再び九九

九九を覚えた長男が自慢げに「問題だして~」と言ってきたので、だしてあげました。
父「さざんざんは?」
長男「さざんざん?」
父「俺が質問してるんだけど。」
長男「なにそれ?」
父「だから、さ・ざん・ざんだよ。わかるだろ?」
長男「……。……!」
長男「27!」
父「(げ、なんだこいつ……。)せ、正解。」
長男「つぎつぎ!」
父「じゅうにごは?」
長男「え!?」
父「じゅうに・ごだよ。」
長男「ちょとまって10が5で50で、2が5で10だから、60!」
父「(ち、なんだこいつ……。)当たり。」
父「よくできたなぁ。よし、12の段、3回かける計算を5まで、あと平方数(説明はしましたよ)を13まで、九九だと思って覚えなさい。」
長男「はーい。」
ちょっとおかしい長男です。
でもね。
九九って全員が覚える最低限度のものなのだと思うのです。
でも、九九を覚えるということと九九を使えるということは別なのです。
だから長男には
「4の段と6の段で同じ答はどれ?」とか「答が36になる九九はどれ?」とか、九九を覚えたぐらいに問題を出してました。
 
今の小学生って72÷2や60÷4を筆算するんですよ。
いや、悪いことではないです。
でも、72円を二人で分けるなら、まず30円ずつ分けて、残り12円をさらに二人に分けますよね。
60円なら10円を4人に分けて、残り20円を4人で分けて5円ずつ、結果15円ですよね。
そうやって九九を利用できるようになってほしいんです。
 
先ほどの因数分解にせよ、小学生の九九にせよ、低い基準の満足感を与えすぎている傾向があるように思うんですよね。
それって苦手な子を救うメリットよりも、得意な子の好奇心と学習の機会を奪ってしまうデメリットの方が大きい気がするんです。
要するに、満足のレベルをどこに設定するかということです。
いやぁ、親にとっても先生にとっても、これは高レベルの満足の設定ですかね。

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